西陣界隈 Ⅱ
京都市考古資料館前には「西陣」大きな石碑が建っています。「西陣」の由来が記している。
西陣の由来
西陣織とは京都西陣の地で生産される織物の総称です。西陣という地名は、応仁・文明の乱(1467~77)の西軍、山名宗全(やまなそうぜん、持豊、1404~73)陣所に由来し、彼の邸宅があった山名町(堀川通上る西入)とともに、乱の名乗りをとどめている数少ない地名。
現在、西陣警察署や西陣郵便局、西陣中央小学校など「西陣」の名を冠する施設はいくつかあります、西陣という行政地名はなく、今では西陣織関連の業者、平成11年に国の登録有形文化財になりました。
山名宗全邸址
山名町に残る山名宗全邸宅跡
江戸時代には、北は今宮神社御旅所、南は一条通あるいは中立売通、東は堀川通、西は七本松通にわたる一帯を西陣と呼んでいたようです。
現在では、西陣というと北は鷹峯(たかがみね)から南は丸太町、西は北野神社から東は烏丸通(からすまとおり)までという大きな範囲となっている。応仁の乱で西軍の将であった山名宗全が陣を構えたのが縁で「西陣」というようになったらしい、現在では、東軍の細川勝元の陣営も西陣地区に含まれている・・・という。
紫式部の御墓
小野相公(篁)の御墓
北区堀川通北大路下ル西に紫式部・小野篁の御墓が並んであります。
紫式部と小野篁(おのたかむら)のお墓が並んであるのか、紫式部が源氏物語著者で源氏物語の件で閻魔大王から苦しめられており、小野篁が閻魔大王の補佐官で助言する立場で許しを・・・。
小野篁は、昼は宮廷に仕え、夜になると閻魔大王の元に出仕して、この世とあの世の二重の契約をしていた・・・。お盆の時期には六道珍皇寺や嵯峨にある薬師寺にて小野篁立像が見ることが出来ます。篁は平安時代中期の英才で漢詩人、歌人。







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